■ストップとは

相場が極端に上下し、市場が混乱することを避けるために、取引所が定めた一日に変動する最大の値幅。 銘柄によって異なる [同意語] 値幅制限 外国為替、ヨーロッパ人が奴隷売買の地域の一つとして入植を始めた。1890年にフランスによって植民地とされた。初代総督はノエル・バレイ。また、イギリスより1887年にフランスに譲られたトンボ島に、1890年に首都コナクリが創られたが、1895年にフランス領西アフリカに併合された。 1958年にフランスからギニア共和国として独立し、セク・トゥーレ大統領が就任した。トゥーレは社会主義施策を敷き、政敵および人権論者の抑圧を行った。1984年にトゥーレが死亡すると、軍事クーデターによりランサナ・コンテ大佐が政権を掌握した。コンテはトゥーレの政治路線を大きく改め、国際通貨基金や世界銀行などの国際機関からの支援を得つつ、旧社会主義体制から自由主義体制への移行を推進した。1993年に初の大統領選挙が行われた後、1998年、2003年に大統領選が行われたが、いずれもコンテが当選している。しかし、その結果や、コンテの政治手法については多くの議論が交わされている。 2007年1月には、首相ポストの新設を要求する労働組合によりゼネストが発生。首都で発生したデモでは市民と治安部隊、警察の間で衝突が発生し、数十人もの死者が生じた。ストライキは18日間にも及び、コンテ大統領と組合間で合意が結ばれ終結が見られたものの治安は悪化。2月には、大統領が国家非常事態を宣言、戒厳令を敷いている。 外為の任命をめぐる政府と労組の立場は対立していたが、近隣諸国及び西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) 仲裁ミッションの働きかけもあり、2月23日に戒厳令は解除され、労組は同27日よりゼネストを中断することを発表。3月2日までに労組及び市民団体により推薦される首相候補の中から新首相を任命することが合意されていた。 1446年 ポルトガルがこの地域一帯の領有を宣言。 1630年 ポルトガルが総督府を設置。 1765年 ビサウに奴隷貿易の拠点が設置される。 1879年 カーボベルデ諸島植民地から分離して単独の植民地となる。民族主義的集団が形成され、武装蜂起が度々起こる。 1951年 ポルトガルの憲法改正により、植民地から海外州・県(海外の領地)となる。 1956年 アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)による独立・民族解放運動が始まる。 以後、ソビエト連邦やキューバの支援を受けたPAIGCと、アメリカ合衆国の支援を受けたポルトガル軍事政権の間で植民地戦争が続き、戦況はPAIGC優勢で展開する。 1973年1月 アミルカル・カブラルがギニア、コナクリにて暗殺される。 1973年9月24日 領土の大部分を押さえたPAIGCは、東部の町マディナ・ド・ボエにおいてギニアビサウ独立共和国の独立を宣言する。初代大統領には暗殺されたアミルカルの弟のルイス・カブラルが就任。 1974年4月25日 ポルトガルでカーネーション革命が発生し、左派政権が誕生。以後、ポルトガル新政権とPAIGCとの間で独立交渉が開始される。 1974年9月10日 ポルトガル政府により正式に独立が承認される。 PAIGCはカーボベルデとの統一を目指していたが、ギニアビサウ国内にてカーボベルデ系への反感が高まり、カーボベルデ系のルイス・カブラルが軍事クーデターにより失脚する形で統一が達成されることはなくなった。 1980年 ジョアン・ヴィエイラによるクーデターが発生し、革命評議会が全権を掌握する。 1984年 革命評議会に代わり国家評議会が設置され、ヴィエイラが議長に就任する。 建国当初の親東側路線はヴィエイラ政権により親米路線に変更されたが、国内での治安は悪く、クーデター計画が頻発した。 1990年 ヴィエイラ、複数政党制民主主義への移行を表明。 1993年 クーデター未遂事件が発生。 1994年 建国後初の複数政党制選挙が行われ、ヴィエイラが大統領に当選する。 1998年 クーデターをきっかけに内戦が発生し、避難民30万人がビサウに流入する。 1999年 クーデターでヴィエイラ大統領が亡命する。 2000年 クンバ・ヤラが大統領に就任する。 2003年 ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ将軍の無血クーデターでヤラ大統領が辞任・逮捕される。エンリケ・ホザが臨時大統領に就任。 2004年 セアブラ将軍が死亡。議会選挙によりPAIGCが勝利。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相による連立政権樹立。 2005年 ヴィエイラが大統領に就任する。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相が更迭され、アリスティデス・ゴメスが首相になる。 2008年 議会選挙で多数派与党が勝利。その一週間後、軍の不満分子による大統領官邸襲撃事件が発生。反乱軍は撃退され、クーデターは未遂に終わる。 国家人民会議議事堂ギニアビサウは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1984年5月16日制定され、その後数回の改正を経たもの。 FXである大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。再選制限は無い。行政府の長たる首相は、大統領が国家人民会議の多数派の指導者より任命する。 議会は一院制の国家人民会議。定数100議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年。 主要政党にはかつて一党支配を敷いたギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)のほか、社会革新党(PRS)、統一社会民主党(PUSD)がある。 最高司法機関は最高裁判所である。 ギニア=ビサウの行政区画ギニアビサウの地方行政区分は8州 (regioe) と1自治区 (sector autonomo) からなる。 オイオ州(Oio) カチェウ州(Cacheu) ガブ州(Gabu) トンバリ州(Tombali) キナラ州(Quinara) バファタ州(Bafata) ビオンボ州(Biombo) ボラマ州(Bolama) ビサウ自治区 (Sector autonomo de Bissau) ギニア=ビサウの地図熱帯にある小国であり、いくつかの河川が流れる大陸部と島嶼部(ビジャゴ諸島)からなる。高い山は無く、国内の最高所の標高は310mである。内陸部はサバンナであり、沿岸部は沼沢地のところが多い。雨季とサハラ砂漠からのハルマッタンによる暑く乾燥した乾季がある。 詳細はギニアビサウの経済を参照 工業、鉱業がほぼ存在せず、労働力の8割が従事する主要産業の農業も米などの自給農業が中心で、しかも国内需要すら満たせないほど生産性が低い。企業家層がおらず、識字率も低いため、経済発展の基礎的な条件が存在していない。産業と呼べるものがほとんど無いため、世界最貧国のひとつとなっている。カシューナッツや落花生が主な輸出品である。 通貨は1997年以前はギニアビサウ・ペソが法定通貨であったが、1997年より西アフリカCFAフランが導入された。 住民は、バランテ族が多く、他にフラニ族、マンディンカ族などの部族がある。少数だが、主にカーボベルデから来たクレオールやヨーロッパ人(主にポルトガル人)などもいる。クレオールは政治などを支配していた事から現地住民(特にバランテ族)は長年不満を抱いており、1980年のクーデターに結びついた。 言語は公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を話す人の割合はあまり高くなく、ポルトガル語をベースにしたギニアビサウ・クレオール語が共通語としての役割を果たしている。ほかにバラント語、フラ二語、マリンケ語などの現地語などがある。 ギニアは立憲共和制国家である。現行憲法は1991年12月23日に国民投票により承認されたもの。 国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は7年。再選制限は無い。首相と、内閣に相当する閣僚評議会 (Conseil de Ministres)のメンバーは、大統領により任命される。 議会は一院制の人民国家会議 (Assemblee Nationale Populaire)。定数114議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。 主要政党には現大統領ランサナ・コンテ率いる統一前進党 (PUP) があり、1984年から続くコンテ長期政権の維持に利用されている。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに進歩復興連合 (UPR) がある。