■節とは

板寄せ取引は午前に数回、午後に数回に分けて立ち会いを行なっている。 その立ち会いの一回一回が「節」と呼ばれていて、前場1節、2節、3節、後場1節、2節、3節、引け後節のように呼ばれる 整体師により2005年に大統領選挙と国民議会選挙を行い民主的政権に移管する予定だったが、同年7月に選挙準備の遅れを理由に延期。2006年6月までに実施を予定していたが、実施されたのは同年7月30日であった。2005年12月には、この選挙の前提としての憲法草案に対する国民投票が行われ、賛成多数で可決した。この結果を受けて2006年2月18日に新憲法が発効された。 大統領:ジョゼフ・カビラ(任期: 2001年1月26日 - ) 内閣:閣僚は大統領が任免。新憲法下で首相職が新設され、現在はアドルフ・ムジトが首相。 議会:立法・憲法制定会議(300議席)が暫定議会として機能 政党:カビラ大統領の与党再建民主人民党 (PPRD)、ADFLの後身人民権力委員会 (CPP) のほか、旧モブツ政権下の独裁政党革命人民運動 (MPR)、そしてキリスト教民主社会党 (PDSC) など。 2002年8月、ムベキ南アフリカ大統領の仲介により、和平が成立した(プレトリア合意)。2003年7月、暫定政府が正式に発足。2005年12月の憲法国民投票を得て2006年7月の選挙が実現した。しかし、各地で武装組織の活動が続き、不穏な情勢の中で投票日を迎えた。 2006年7月30日、大統領選挙と議会選挙が行われた。定数500。8月20日、大統領選挙の暫定公式結果が発表された。当選に必要な過半数の得票率の候補者がなく10月29日に上位二人の決選投票が行われることになった。 粗大ごみの発表によると、「大統領多数派連合」から立候補したカビラ暫定政府大統領の得票数は44.81%。元コンゴ解放運動 (MLC) 指導者で暫定政府副大統領のベンバが20.03%で2位。投票率は、約2500万人の登録有権者のうち70%が投票した。 25州及びキンシャサ 2006年までの州コンゴ民主共和国の地方行政は、2006年までは10の州といずれの州にも属さない首都市キンシャサに区分された。2005年憲法で25州制への移行が決められ、2006年2月に国民投票で承認された。憲法226条の規定により36ヶ月後の2009年2月までに移行される。 コンゴ民主共和国の地図コンゴ民主共和国の面積は西ヨーロッパに匹敵する。3分の1が赤道の北側に、3分の2が南側に位置する。非常に雨が多く、雷も地球上で最も多い。年間降雨量は場所により2,000ミリを超え、アマゾンに次ぐ広さの熱帯雨林を抱える。西の大西洋へゆっくり下るコンゴ川の流域は広大なコンゴ盆地の大部分を占める。南はサバンナに続く高地に、西は山がちの台地に、北は草地に囲まれ、最も東には氷河で覆われる高山がある。 大地溝帯は火山活動を起こし、アルバート湖、エドワード湖、タンガニーカ湖などの大湖を形成した。最も重要なのは南部と東部にある膨大な鉱物資源を地表へ露出させ採掘可能にしたことである。コバルト、銅、カドミウム、ダイアモンド、金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱、石炭がすべて豊富にあり、とくに南東部カタンガ地域が有名である。2002年1月17日に噴火したニーラゴンゴ火山の溶岩は幅50m、時速60kmの早さで流れ、ゴマ市付近を襲い、45人を死亡させ、12万人の家を奪った。40万人が避難し、キブ湖の魚が全滅した。半年後には近くのニャムラギラ火山も噴火し、2006年に再噴火している。 無人島であったが1470年にポルトガル人が上陸、ポルトガルからおもにユダヤ系住民の流刑地として使われる一方、奴隷貿易の中継基地となった。1522年ポルトガルの植民地になった。はじめサトウキビのちにカカオ栽培が盛んに行われ、サトウキビ栽培のため多く奴隷がアフリカ本土から連れてこられた。奴隷制度廃止後も、白人農園主の農園労働者に対する実質的な待遇は変わらず、広範な不満があった。1960年に、現サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党 (MLSTP・PSD) の前身であるサントメ・プリンシペ解放委員会が設立され、独立運動が本格化した。ポルトガルが植民地からの撤退を決めると、1974年に暫定政府が設立され、1975年7月12日に正式独立。MLSTP・PSDのマヌエル・ピント・ダ・コスタが初代大統領に就任。MLSTP・PSDの一党独裁のもとで、アンゴラやキューバなど旧社会主義陣営と密接な関係を持っていたが、経済立て直しのため1980年代から親西欧・親米に転換。 不用品回収、国民投票で複数政党制移行を決め、1991年1月の総選挙で野党が過半数を獲得、その支持を受けたミゲル・トロボアダ元首相が3月の大統領選で当選し、一党独裁が終結。1994年10月の総選挙ではMLSTP・PSDが第1党に返り咲き、1998年11月の総選挙では過半数を獲得。野党代表のトロボアダ大統領とMLSTP・PSDを与党とする内閣が対立・共存の状況となった。2001年7月、大統領選でトロボアダ派の実業家で独立民主行動 (ADI) 党員であるフラディケ・デ・メネゼスが当選。 2003年7月16日、軍事クーデターでフェルナンド・ペレイラが政府を打倒。マリア・ダス・ネヴェス首相など数閣僚を拘留。これは政府による多くの石油会社との商取引に反応したもので、1週間後にはペレイラ政権は旧政権の首脳らとの交渉を持ち、ペレイラは退陣。メネゼス大統領、ネヴェス首相ら政府首脳は復権した。 サントメ・プリンシペは共和制、半大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1990年9月10日に公布されたもの。 国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年。3選は禁止。首相は国民議会が選出し、大統領が任命する。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは首相の指名に基づき、大統領が任命する。 サントメ・プリンシペの大統領 立法府は一院制で、正式名称は国民議会。定数は55議席で、議員は比例代表制に基づき国民の直接選挙により選出される。議員の任期は4年である。 1990年に現行憲法が施行されて以来、サントメ・プリンシペでは複数政党制が認められている。主要政党にはフラディケ・デ・メネゼス大統領が現在所属する変革民主運動勢力・自由党(MDFM/PL)のほか、1975年の独立から複数政党制が承認された翌年の1991年まで国家を支配した左派のサントメ・プリンシペ解放運動・社会民主党(MLSTP/PSD)、デ・メネゼス大統領がかつて所属した中道の独立民主行動(ADI)がある。 司法府の最高機関は最高裁判所。 サントメ・プリンシペの県2つの州に分かれている。 サントメ プリンシペ - 1995年4月28日に自治州に昇格。州都は、サント・アントニオ。 2州は、更に7つの県に分けられる。 サントメ・プリンシペの地図主島としてサントメ島とプリンシペ島からなり、周囲にある小島も含まれる。ガボンから300km〜250km沖合にある。いずれも、火山島で、最高峰はサントメ島のピコデサントメ山(2,024m)。アフリカ大陸のカメルーン山から赤道ギニアのビオコ島とアンノボン島まで含むカメルーン火山島列に属する。 サントメ島は長さ50km、幅32kmで、ほぼ赤道直下にあり(北緯0度23分)、年間を通して気温・湿度共に高い。年間平均気温は27度で、32度を超えることは少ない。内陸高地では年間平均20度で、夜間は涼しい。雨季は10月から5月。年間降水量は南西部で5,000mmもあるが、北部では1,000mmと降水量は少ない。 プリンシペ島は長さ30km、幅6kmで、サントメ島よりも乾燥している。 経済基盤は非常に脆弱で、カカオ生産およびその輸出に依存する農業国。世界最貧国の1つ。旱魃や資本不足で生産量は落ち込み、経済不振が長期化。食糧や生活物資の大半を輸入に頼る。重債務貧困国でもあり、2000年の対外債務残高は国民総生産 (GNP) の460%にも達し、国家経済は事実上の破産状態。観光産業はまだ遅れているが将来有望である。 2000年4月、国際通貨基金 (IMF) は貧困削減などのための政府による3ヶ年計画に890万ドルの融資を決定。5月には主要債権国会議(パリクラブ)が2003年までの間、同国への再建の金利を95%(約2,600万ドル)削減することに合意。2000年度は世界銀行分の100%、IMF分の80%の債務免除措置を受けた。