■前場とは
午前行なわれる立ち会いのことをいう
[反意語] 後場
くりっく365における92の上級ポストのうちクレール人(クリオ)は15を占めるのみ。ほとんどヨーロッパ人化が進められ次第にクレオール人は排除されていく。
1920年-イギリス領西アフリカ国民会議(NCBWA)がゴールドコースト(ガーナ)で創設され、シエラレオネからは実業家のF・W・ダウと1910年にイギリスからシエラレオネに帰国ていた、フリータウン出身のクレオール人医師バンコール・ブライトが出席。
1922年-NCBWA大会がフリータウンで開催され、保護領の権利を拡大する「教育を受けた原住民委員会」を創設する。
1924年ブライトの出席のもと西アフリカ学生同盟が創立される。
1931年-ダイヤモンド鉱が発見される。スス族のイスラム教指導者ハイダラ・コントーフィリがイスラム教の改宗を人々に訴え、イスラム教に改宗しなければ殺害すると脅したため、政府軍は彼を殺害する。
日経225のクレオール出身のウォレス・ジョンソンがゴールドコースト(ガーナ)で西アフリカ青年連盟を創設。
1937年-イギリス領ナイジェリアの原住民統治制度がシエラレオネの内陸部の保護領で導入される。ジョンソンがシエラレオネに帰国。
1946年-SLPPは保護領でシエラレオネ組織協会を設立。
1950年-メンデ族出身のミルトン・マルガイを党首としてシエラレオネ人民党(SLPP)が結成。8月にブライトがフリータウンでクレオールのシエラレオネ植民地国民議会(NCCSL)を創立。
1951年-選挙では植民地フリータウンで、エスルドレッド・ジョーンズ師(別名ラミナ・サンコー)によりフリータウン人民党が統合される。SLPPはブライトとジョンソンらのNCCSLを破る。
1954年-保護領の南部や東部でのダイヤモンドのラッシュの動きが本格化。ダイヤモンドの採掘人は推定30,000人にのぼる。クリオの弁護士シリル・B・ロジャースライトが統一シエラレオネ進歩党(UPP)を創設。植民地と保護領の融和に説く。
1955年-フリータウンで暴動が発生。増税に反対してポート・ロコで暴動が起きる。
1957年-SLPPは選挙で大勝しマルガイはシエラレオネ初代首相となる。
1958年-ミルトン・マルガイの異母兄弟のアルバート・マルガイが人民国民党(PNP)を創設。ブライトが死亡。
1959年-フォーラー・ベイ・カレッジ(FBC)がシエラレオネ大学(USL)となる。
1960年-にはロンドン代表団を派遣しシエラレオネの完全独立を認めるよう要求する。
1961年-英連邦王国の一員として独立。
1964年-フリータウンの市長にシアカ・スティーブンスが当選。シエラレオネ銀行が創設され、新通貨にレオンを導入。4月28日、ミルトン・マルガイ首相が死亡。後任としてアルバート・マルガイが首相になる。
1967年-2月にクーデター未遂事件が発覚。のちにアルバート・マルガイ首相はギニアと防衛協定を結ぶ。3月17日の選挙には異議会が出され、APCが国会での過半数の議席を主張。3月21日に軍の指導者であるデビッド・ランサナ准将が無血クーデターを起こす。3月23日に軍と警察幹部が支配権を握り、国家改革協議会を設置し、アンドリュー・ジャクソン=スミス准将が議長になる。
1968年-軍部クーデターが起こり、のちにシアカ・スティーブンスを首相としてAPCとSLPPによる連合政権が樹立。
1970年-統一民主党が創設。9月11日ダイヤモンド産業が国有化。10月8日統一民主党が非合法化。
1971年-ジョン・バングラ准将を中心とするクーデター未遂事件が起き、ギニア軍が治安維持のため派遣される。共和制に移行し、スティーブンスが大統領になる。
1973年-隣国リベリアとマノ川同盟(MRU)を創設で合意。
1975年-西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)に条約調印。
1976年-スティーブンスが大統領に再選
1977年-学生らによる反政府デモが起きる。
1978年-スティーブンスによる1党共和制
1980年-アフリカ統一機構(OAU)のサミットがフリータウンで開催される。10月25日ギニアがMRUに加盟する。
CFDで学生デモが起きる。
1985年-FBCがリビアと関係を持つ過激な学生として41人の学生を退学処分。スティーブンス大統領が辞任、後継者として軍司令官のジョセフ・サイドゥ・モモ少将を指名し、大統領になる。
1986-年クーデター計画が発覚。第一副大統領のフランシス・ミナら60人以上が逮捕され反逆罪の罪で告訴される。5月10日ミナを含む16人に死刑判決。
1987年-シエラレオネ反政府活動家アハメド・フォディ・サンコーがリビアで軍事訓練を受け、後に革命統一戦線(RUF)を創設する。3月11日給料不払いなどに抗議するデモが発生する。モモ大統領が非常事態を宣言。内閣改造。
1988年-サンコーがリビアでリベリア国民愛国戦線(NPFL)の指導者チャールズ・テーラーと出会う。
1989年-モモがAPC事務総長に再選。8月モモ大統領が憲法改正を示唆。10月ミナら10人が処刑される。11月28日内閣改造。
1990年-8月24日シエラレオネ部隊を含む西アフリカ諸国経済共同体停戦監視団(ECOWAS、ESOMOG)がリベリアのモンロビアに到着。モモ大統領が国家憲法改正検討委員会の30人の委員を指名。
1991年-テーラー率いるリベリア愛国戦線(NPFL)、シエラレオネのリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに侵入。サンコー率いる統一革命戦線(RUF)も戦闘に参加する。シエラレオネ内戦が起こる。
1992年-軍部のクーデターによりバレンタイン・ストラッサーが元首に就任。
1995年-シエラレオネ政府に雇われていたアメリカ人傭兵ロバート・C・マッケンジーがRUFとの戦闘で死亡。
1996年-1月、ビオ准将による無血クーデター。3月、アフマド・テジャン・カバー大統領に就任。
1997年-5月、軍事クーデターが起こる。6月、軍事革命評議会(AFRC)のジョニー・ポール・コロマ少佐が国家元首に就任。
1998年-AFRCが駆逐されカバー大統領がフリータウンに帰還。
1999年-ロメ平和合意が成立する。16日に逃亡中のRUFの指導者サンコーがフリータウンの自宅で市民らによって拘束されシエラレオネ警察に引き渡される。
2000年-シエラレオネ政府、RUFと停戦合意。イギリス政府、シエラレオネにイギリス軍の小隊をシエラレオネのフリータウンに派兵、駐留。
2001年-武装解除について実施の方法について政府、RUFと合意成立。
2002年-カバー大統領、1月18日に武装解除を終了宣言し、2月イギリスのトニー・ブレア首相がシエラレオネに訪問。3月1日には国家非常事態の終了宣言。シエラレオネ内戦終結。
2003年-RUFの指導者だったサンコーがフリータウンの病院で死亡。
2006年-3月29日、反政府勢力RUFの支持などで戦争犯罪などの罪で起訴され、ナイジェリアへ亡命していたリベリアのテーラー元大統領が拘束されシエラレオネに移行し、フリータウンにある国連特別法廷の収容所施設に身柄を移行される。
熱帯性であるが、高地ではしのぎやすい。年降水量は500〜1,500mm。首都ルサカ(標高約1,200m)では1月の平均気温は21℃、7月の平均気温は16℃である。乾季は5月〜8月で、12月〜4月は雨季である。
世界的な銅の産地(→カッパーベルト)で、日本の10円硬貨にもこのザンビアから輸入した銅が含まれている。他にも鉛、亜鉛などを産出する。小規模ながら繊維工業などもある。日本はこの国の援助に力を入れており、経済協力は年間5,200万ドル(約57億円、2001年)におよび、この額は日本の対アフリカ援助で3番目となっている。
住民は、バントゥー系諸民族(トンガ系、ニャンジャ系など)が主である。ヨーロッパ人は1%ほどである。
言語は公用語が英語で、その他に各民族の言葉(トンガ語、ニャンジャ語など)が使われる。
宗教は、キリスト教の割合が半分以上で、その他にイスラム教、ヒンドゥー教、伝統的宗教などが信仰されている。