■全面高とは
すべての限月又は、すべての商品が高いことをいう
[反意語] 全面安
外為から1190人の解放奴隷(主に、イギリス忠誠派としてアメリカ独立時に逃亡し自由になった奴隷たち)を乗せた船団がシエラレオネに到着し、フリータウンを建設。
1794年-ザッチャリ・マコーレーが総監に就任。フランスの艦隊がフリータウンを攻撃及び略奪、破壊をする。
1795年-トーマス・クーパーが現地部族のスス族やフラニ族と通商するためリオ・ポンガと言う場所に商館「フリーポート」を開く。バプテスト宣教協会が2人の宣教師をシエラレオネに派遣し、のちにロンドン宣教協会となり、プロテスタント超教派協会が創立される。
1796年-イギリス政府がシエラレオネ会社に補助金を出し始め、マコーレー総監就任。ジミー王が死亡。
1797年-グラスゴー宣教協会が2人の宣教師をシエラレオネに派遣。
1799年-マコーレーがフリータウンを去り、イギリスへ向かう。この時、彼は25人の黒人男子と5人の黒人女性をイギリスでの教育のため同伴。
1800年-ジャマイカからノバスコシアに移されていた元逃亡奴隷のマルーン550人がシエラレオネに向けて出航。
1807年-イギリスが奴隷貿易を非合法化し、奴隷貿易の取締まりを強化。シエラレオネ会社の理事がアフリカ人の「文明化」によって奴隷貿易を廃止することを目的とした「アフリカン・インスティチューション」を創立。
日経225が直轄植民地の初代総監になる。シエラレオネにあるレスターなど奪還奴隷のための集落地の建設に取り込む。シエラレオネはシエラレオネ会社の植民地からイギリス直轄植民地となる。フリータウンの人口2,000人。
1811年-奴隷船から解放されてフリータウンに上陸した奪還奴隷数がこの年までに1991人になり、フリータウンの人口は急増。
1812年-キシ族出身の奪還奴隷グループが、廃墟と化していたグランビルタウン近くの丘にキッシータウンと言う集落を建設する。
1813年-イギリス海軍がセントポールズ川にある奴隷貿易商館を破壊し200人以上の奴隷を解放し、リオ・ポンガスにある商館も破壊。
1814年-CMSがレスター山南東部の土地を入手し、奪還奴隷児童の教育訓練のためクリスチャン学校を開校。ウィリアム・クーパー・トンプソンが内陸部での紛争の原因と通商拡大への方策を調査するため内陸部のティンボへ派遣される。
1815年-ポート・ロコをスス族のブリマ・コンクリから奪還するためテムネ秘密結社が結成され、後にポート・ロコは奪還されテムネ族の町となる。
1827年-フリータウンでフォーラー・ベイ・カレッジ(FBC)が開設される。
1896年-内陸地域がイギリス保護領となり、植民地と分けられる。
1898年-内陸部の保護領の現地部族が反乱を起こす。イギリスが植民地支配を保護領にまで広げようとした事に対して起きたものである。
FXに入ると経済が衰えクレオール人の商人は国外の貿易対象に太刀打ちが出来なくなり、活動の場はフリータウンに限られ、さらにクレオール人は政治における主導権の多くを失った。
この国及び政府の代表は、5年に1度選挙で選ばれる大統領である(最近は2002年5月に実施)。大統領は閣僚を任命し、統括する。シエラレオネの国会は一院制で議席数は124議席である。112議席は大統領選挙と同時に選出し、残りの12議席は大統領によって補充される。
シエラレオネは、西部地区(かつての植民地)と東部州、北部州、南部州(かつての保護領)、の4つに分けられる。 旧保護領の3州は148の首長領をもつ12の地区に細分されている。西部地域は地方自治体によって治められている。 3州にはそれぞれ知事がおり、州内の行政単位は小さいものから順に、村、広域村、郡区、首長領、地区議会がある。
シエラレオネの海岸線は、首都フリータウンがあるフリータウン半島部は別としてマングローブ林に覆われている。 シエラレオネの残りはたいてい木々に囲まれた高原地帯(海抜300メートル級)で、国の東部は山間地である。(最高峰はロマ・マンサの1,948 m)フリータウン半島近くにあるバナナ島、バンス島、ヨーク島やタートル諸島(シェルブロ島)などの島々もある。 気候は熱帯性で5月から12月までは雨期。
主要都市 フリータウン、コインドゥ、ボー、ケネマ、マケニ
その他の都市 ポートロコ、ウォータールー、ルンギ、ジミ、カバラ、マランパ、モヤンバ
シエラレオネはダイヤモンドの輸出国であるが、その大部分が密輸出される。南西部が最もダイヤモンドの埋蔵量が多い地域であり、これを巡って内戦が発生している(紛争ダイヤモンド#シェラレオネを参照)。その他ボーキサイトや金紅石の産出国でもある。
農業では米、アブラヤシ、ラッカセイ、コーヒー、ココアなど。
主要な空港は首都フリータウンから入り江を渡った、ルンギにあるルンギ国際空港である。国内線にヘイスティングズ空港など10ヶ所である。この2つを結ぶのは数少ないフェリー便のみである。
住民は、90%がアフリカ系(テムネ族とメンデ族を中心とした現地部族)で、10%がクリオと呼ばれるクレオールである。首都フリータウンのあるシエラレオネ半島に住んでいる。クリオ人は主にイギリスや北アメリカやジャマイカなど解放奴隷の子孫と白人との混血からなっている。このほか少数だがアジア人(ほとんどがレバノン人)やヨーロッパ人も都市部に定住している。
言語は、公用語が英語で、その他にテムネ語、メンデ語、英語を母体にしたクリオ語と呼ばれるクレオール語などが使われる。
宗教は、伝統的宗教(特に南東部地)が40%、イスラム教(特に北部および西部地)が50%で、キリスト教(特に西部地)が10%(プロテスタントがほとんどで、カトリック教は2%程度)である。キリスト教の布教活動は全国的に行われており、またイスラム教の布教も西部地域を中心に活発に行われている。
サミュエル・ルイス - 立法協議会で20年以上議員を務めた。初代フリータウン市長。
デビッドソン・ニコル - 元国連大使(1969年-1971年)、安全保障理事会(1970年)と国際連合訓練調査研究所(UNITAR)(1972年)の理事長。
ジョン・ムッセルマン・カレファスマート - 国土省・鉱業省・労働省の各大臣を歴任、ダイアモンド産業を組織化し、元WHOの副事務局長(1965年-1970年)。
モハメド・カロン(サッカー選手) - AEKアテネ所属、14歳で同国サッカー代表。
ソリアス・サムラ - ジャーナリストで、ドキュメンタリー作家。腐敗、貧困、紛争といったアフリカの現状を緻密な取材を元に報告している。映画「ブラッド・ダイヤモンド」のアドバイザーも務めた。
19世紀後半、フランスはスエズ運河の建設が始まるとタジュラ湾のオボック港を租借、周辺に勢力を拡大しフランス領ソマリランドとして植民地化した。また、タジュラ湾岸に港町ジブチを開き、エチオピアのアディスアベバと結ぶ鉄道が建設されるとジブチ港の重要性は高まった。
第二次世界大戦後、アフリカ各国の独立がすすんだが、フランス領ソマリランドにはイッサ族とアファル族の対立があり、独立問題は複雑でフランスの海外県にとどまっていた。
1967年、住民投票によって引き続きフランス領であることを選択したあと、フランス領アファル・イッサと改称された。その後、議会選挙でアファル族の進歩党が圧勝。また、イッサ族を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求。
その結果、1977年、ジブチ共和国として独立し、イッサ族出身のグレドが大統領に就任した。しかし、部族対立はおさまらず、1991年内戦が勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直接選挙制をも導入し、1993年に4選された。
その後、グレド大統領の後継ゲレが1999年に大統領に当選、2001年に内戦が終結した。
現在も少数のフランス軍が駐留していて、フランス陸軍の第5海外混成連隊及び第13外人准旅団の2個連隊が派遣されると共にフランス空軍のミラージュF1戦闘機がジブチの防空任務を行っている。 対テロ戦争の一環として、ソマリア牽制の意味でアメリカ軍特殊部隊が駐留している。
国境を巡って隣国エリトリアと対立しており、1990年には二度の軍事衝突が起きている。停戦が成立したが、国境線を巡る緊張は続いた。2008年6月に再び両軍の間で戦闘が起きた。ジプチ政府はエリトリアが再び国境線に軍を増強しているとして非難し、国際社会の介入を求めた。
首都のフリータウンはその名が示す通り、イギリスや北アメリカから移住してきた解放奴隷が建設した街であるため、クレオール文化的な混血具合を色濃く残す。内陸地方の現地部族は現地の伝統文化を守って暮らしている。