■全面安とは

すべての限月又は、すべての商品が安いことをいう [反意語] 全面高 外国為替証拠金取引は共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年9月4日に制定されたもの。 国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は6年。3選は禁止されている。首相と閣僚は大統領が任命する。 議会は一院制で、定数65議席(イッサ人議員33議席、アファル人32議席)。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。 ジブチは1992年の新憲法制定以来、複数政党制を導入しているが、進歩人民連合 (RPP) が事実上の一党支配を続けている。その他の政党には親RPP派の統一民主回復戦線 (FRUD) 、国民民主党 (PND) 、反RPP派の民主共和同盟 (ARD) 、民主改革開発運動 (MRDD) など。 最高司法機関は最高裁判所である。 12世紀頃、リンポポ川中流域にマプングヴエ王国が成立し、次いで13世紀?14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄えた。グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっており、かなり大規模な交易を行っていたようである。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってザンベジ川中流域にモノモタパ王国、現ブラワヨ周辺のカミ遺跡を首都としてトルワ王国が興り、覇権を握った。 16世紀?17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退。地方首長国の分立状態となる。19世紀後半に南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなる(ローデシアは「ローズの家」の意。南アフリカ会社設立者にしてケープ植民地首相のセシル・ローズの名からとられている)。国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達は先祖の墓参りの自由すらなかった。 1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、1965年には、世界中から非難を浴びる中、植民地政府首相イアン・スミスによって白人中心のローデシア共和国が独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側も、スミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開するが、イギリスの調停により、100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で合意、ローデシア紛争は終結した。1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立し、カナーン・バナナが初代大統領に、そしてロバート・ムガベが初代首相に就任した。1987年からは大統領が儀礼的存在である議院内閣制を廃し大統領制に移行し、首相職も廃止。ムガベが大統領に就任した。2008年8月現在も引き続きムガベが権力を握りつづけている。 外国為替のカビラ大統領と親交していたムガベ大統領は内戦が起きたコンゴに約1万人の軍を派兵した。カビラ大統領を支えるためだが、真の目的はコンゴにあるムガベ一族が所有するダイヤモンド鉱山を守る事や、コンゴのそれらのダイアモンドや銅や金などの地下資源の狙いの理由もあった。コンゴに軍隊を送り、これに反対する運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領は暗殺されるなどコンゴ派兵は混乱を招いた。ムガベ大統領はコンゴ内戦への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。 そのためムガベ大統領への批判が相次ぎ、イギリスのマスコミなどは、ムガベ大統領は批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えていったとしている。 ムガベははじめは黒人と白人の融和政策を進め[1] 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された[1]。この結果、白人の持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は外国や人権団体などから批判を受けている。 2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[2]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレが暗殺されている[3]。女性差別は依然存在するばかりか激しさを増しており、女性活動家の行動はおろか生活すらも統制され、トウモロコシを穀物流通公社に売ることさえもできなくなっている[4]。 ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国・ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した。 グレートジンバブエ遺跡の「大囲壁」の外観。Randall-MacIver,D.1906より2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動のモーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。7月11日、国際連合安全保障理事会にジンバブエ政府非難と、ムガベ大統領ら政権幹部の資産凍結・渡航禁止などの制裁決議案が提出された。しかし、中国とロシアが内政問題であるとして拒否権を発動し、否決された。賛成9(アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、ベルギー、パナマ、クロアチア、コスタリカ、ブルキナファソ)、反対5(中、露、南アフリカ、リビア、ベトナム)、棄権1(インドネシア)だった。 野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化している。事実上、ムガベ大統領の独裁政治体制が続いている。 2008年6月の大統領選挙においても国連から「公正な選挙がなされておらず、不正選挙にて大統領が選出された」という非難声明が出されている。国連の介入の議論がされたが、ロシアと中国が拒否権を行使し否決された。 国内では報道規制が厳しく、CNN・BBCをはじめ国外のマスコミの取材が禁止されている。そもそもの宗主国であったイギリスに対するジンバブエ国民の悪感情は根強い。またイギリス側のジンバブエ報道も、過度に扇情的であるとの指摘もされている。 アフリカ南部に位置し、モザンビーク、南アフリカ、ボツワナ、ザンビアと国境を接する。ザンビア国境にはヴィクトリア滝が位置する。内陸国であり海岸線をもたない。座標は東経30度・南緯20度のあたり。 面積は390,580 km2、うち陸地面積が 386,670 km2、内水面面積が 3,910 km2を占める。 気候は熱帯性であるが、高度のためやや温暖である。雨季は11月から3月にかけて続く。 地形は中央高地をもつ高原が大部分を占める。国の東部は山岳地帯である。 国内最低地点はルンデ川とサヴェ川の合流地点で標高162 m、最高地点はインヤンガリで標高2,592 m。 石炭、クロム鉱石、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナ族金属を産する。 通貨はジンバブエ・ドル(ZWD)。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ[5]。世界で最もインフレが激しく、2008年5月に1億と2億5000万の額面のジンバブエ・ドル札が発行された後も、50億、250億、500億ドル札の発行と続き、7月には1000億ドル札の発行が行われた(これは発行時の時点で世界最高額面の紙幣)。そのため、コンピュータの処理にトラブルが発生していることから、中央銀行はデノミネーションを実施し、大幅な通貨単位の引き下げを実施することを決定した。1000億ドルが10ドルとなり、それに対応した新紙幣を8月1日から発行することも正式に決定している。 詳細はジンバブエ・ドルを参照 かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済であった。特に、白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていた。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつてはヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった[1]。