■自己玉とは
商品取引員は自社の利益を目的として自己売買を行なうが、その建玉のこと
予備校の大西洋岸にある地域で、北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに接している。旧スペイン領サハラ(もとのリオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ地区より成る)。面積26万6,000平方キロ、人口約27万人(2004年)。
帰属については議論があり、サハラ・アラブ民主共和国とモロッコ王国が領有を主張している。国際連合の「非自治地域リスト」に1960年代以来掲載されている。
ほとんどの地域をモロッコが実効支配(もしくは不法占拠)しているが、モロッコによる領有権の主張は大多数の国から認められていない。サハラ・アラブ民主共和国はアフリカ諸国と中南米諸国を中心に国家として承認されているが、欧米や日本などの先進諸国はモロッコとの関係上国家として承認しておらず、また国際連合にも加盟できていない。
塗装工事でもっとも人口密度の低い地域のひとつである。
アフリカ分割においては、ギニア湾岸を除く西アフリカのほとんどの地域が東西5000km、南北4000kmにも及ぶ広大なフランスの植民地(フランス領西アフリカ)となった中で、西サハラとモロッコ最南部はフランス領に囲まれた島状の形でスペイン領として残った。
1886年にスペインの保護領となり、1912年にイフニとモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)と合併してスペイン領西アフリカを形成したが、1958年モロッコ南部保護領(タルファヤ地方)、1969年イフニを、それぞれモロッコに返還する。1975年のマドリード協定によりスペインは領有権を放棄して撤退し、1976年にはモーリタニア とモロッコ が分割統治を開始する。その一方で、西サハラの独立を目指すサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線(POLISARIO、通称ポリサリオ戦線)はアルジェリア の支援を得て武力闘争を開始し、1976年にはアルジェリアの首都アルジェで亡命政権サハラ・アラブ民主共和国 (SADR) を樹立した。
おせちの兵士たちポリサリオ戦線はまずモーリタニアを集中的に攻撃し、同国の首都ヌアクショットまで攻撃するなど戦闘を有利に進めた。度重なる多額の戦費支出によってモーリタニアの国家財政は圧迫されていき、1977年のポリサリオ戦線の軍事的勝利は1978年にモーリタニアで無血クーデターが引き起こるまでに至った。1979年にモーリタニア政府はポリサリオ戦線と単独和平協定を締結し、西サハラ領有権を正式に放棄した。しかし同年、モーリタニアが放棄した領域をモロッコ軍がすぐさま不法占領したため、現在に至るまで独立をめぐる問題が続いている。1984年にはモーリタニアがサハラ・アラブ民主共和国を国家承認している。
1988年に国連事務総長の和平提案をポリサリオ戦線とモロッコの双方が合意した。提案内容は、独立かモロッコへの帰属を決める住民投票を実施するというものである。1991年に国際連合の仲介でポリサリオ戦線とモロッコは停戦し、国連提案にあった住民投票を実施することになり、国連平和維持活動 (PKO) として国連西サハラ住民投票監視団 (MINURSO) が創設された。しかし、この地域は遊牧民が多く有権者の認定が困難を極めるためという理由で、投票は現在に至るまで無期延期となっている。また、モロッコ国王モハメド6世の相次ぐ西サハラ訪問、モロッコによるインフラ整備などにより、モロッコは西サハラ実効支配を既成事実化し、サハラ・アラブ民主共和国の独立を妨害し続けている。
現在は、モーリタニア国境を中心に地雷がモロッコ軍によって埋設されている。モロッコは主にモーリタニア国境に沿って「砂の壁」と呼ばれる防壁を築き、ポリサリオ戦線を排除している。砂の壁はモロッコ国内からつながっている。
サハラ・アラブ民主共和国は1982年2月22日にアフリカ統一機構(OAU)(2002年からはアフリカ連合(AU))に加盟しており、アフリカ・中南米・南アジア諸国を中心に約80か国から国家承認を得ている。モロッコがアフリカ大陸の国家の中で唯一AUに加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国のOAU加盟に反発して1984年に脱退したためである。なお、AUの現在の加盟国総数は53であり、アフリカの国連加盟国数53か国と同じ数であるが、サハラ・アラブ民主共和国はAUのみの加盟、モロッコは国連のみの加盟となっている。
11世紀に成立したワガドゥグー王国が、19世紀末まで国家として残る。アフリカ分割に伴い、1896年にワガドゥグーにあったモシ王国がフランスの保護領となり、直後の1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入った。1904年に、周辺諸国とともにフランス植民地帝国を構成する広大なフランス領西アフリカとなる。第二次世界大戦後の1958年、フランス共和国の自治共和国となり、1960年、アフリカの年にオートボルタ共和国として独立した。ボルタ川の上流という意味である。1961年にフランス共同体から外れ、1966年から数次にわたるクーデターが発生する。1983年にトーマス・サンカラによる最後のクーデターが起こり、サンカラは1984年8月に国名を現在のブルキナファソに変更した。
ブルキナファソは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1991年6月11日に制定されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は国民議会との協議に基づき、大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき、大統領が任命する。
ブルキナファソの大統領一覧も参照
議会は一院制で、正式名称は国民議会。定数111議席。議員は比例代表制に基づく選挙で選出され、任期は5年である。
主要政党としては、現大統領ブレーズ・コンパオレ率いる民主主義進歩会議(CDP)があり、強力な与党として国政を支配している。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに民主連邦同盟(ADF)とアフリカ民主連合(RDA)があり、この2党は国民議会において統一会派を組んでいる。
最高司法機関は最高裁判所である。
詳細は西サハラの地理、en:Geography of Western Saharaをそれぞれ参照
南方のモーリタニアと並び、大西洋に至るまでサハラ砂漠が広がっているため、わずかなオアシスと一部の沿岸部を除き、全土が砂漠である。東部は山岳地帯であり、大西洋に向かって標高が下がっていく。
北部はアトラス山脈の山ろくにあたり、岩石砂漠が広がる。山ろく沿いにアルジェリアからモーリタニア、西サハラを横切り大西洋につながるJatワジがある。秋季には水をたたえるため、農業に適する。これ以外の地域、特に内陸部はワジはないものの、降水が地下水となってオアシスを形成している。
ケッペンの気候区分によると全土が砂漠気候 (BW) である。秋季に数10mm程度のわずかな降雨がある。旱魃やバッタの被害を受けやすい。
1884年、ドイツの植民地(ドイツ領東アフリカ、ドイツ植民地帝国)の一部になる。1918年、隣国ルワンダとともにルアンダ=ウルンディとしてベルギー領になる。1962年にムワミ(国王)を元首とするブルンジ王国としてベルギーから独立。1966年に最後のムワミが廃されて王制が廃止され、ミシェル・ミコンベロをリーダーとする共和国となる。その後、少数民族のツチ族による支配に不満をもつフツ族が、1972年に反乱をおこし1万人のツチ族を殺害する事件が発生する。この事件の報復として同年、4月から10月にかけてツチ族系の軍隊がフツ族10万人を殺害するという事件につながった。
1987年9月に、国軍による無血クーデターでツチ族のピエール・ブヨヤ政権が誕生。民族融和を推進するが、民族間の抗争を止めることはできなかった。ブヨヤ政権は事態を収めるため、フツ族から首相を指名する他、複数政党制を導入し、1993年6月には複数政党制で選挙を行った。